なぜ人生怪談は、顔を映さないのか

人生怪談の動画には、人の顔が出てきません。

後ろ姿。手元。畳に置かれた物。閉じた襖。玄関に並んだ靴。
そういうものばかりが映ります。

これは、技術的な都合ではありません。
理由があります。ただ、その理由が長いあいだ、どこにも書かれていませんでした。


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書いていないルールが、守られていた

先日、この点を問われて、記録を探しました。

人生怪談には「基本命題集」という土台の文書があります。六つの命題だけでできた、短い憲法のようなものです。制作の規約もあります。

そのどちらにも、「顔を映さない」とは書かれていませんでした。

にもかかわらず、直近の十七本すべてで、それは守られていました。
誰も破っていないのに、誰も決めていなかったのです。

決めた記録が無いまま守られているルールは、いつか揺らぎます。
「これは本当に必要なのか」と誰かが思ったとき、答える言葉がないからです。

だから、あらためて考えました。


顔は、一枚で全部を決めてしまう

理由は、たぶんこれです。

顔は、年齢を決めます。性別を決めます。時代を決めます。育ちを決めます。

一枚の顔が映った瞬間、その物語は「その人の話」になります。

七十代の女性の顔が映れば、それは七十代の女性の話になる。
四十代の男性の顔が映れば、四十代の男性の話になる。

そして、見ている人は、外に出ます。


人生怪談には、こういう一節があります。

これは、お年寄りの話ではありません。いつかのあなたの話です。

顔を空けておくと、そこに、見ている人が自分の家族を入れられます。

自分の父。自分の母。自分の姉。
何年も会っていない伯父。もう亡くなった祖母。

手元と物だけが映っているとき、その手はあなたの家族の手になります。

これは技術の話ではありません。余白の話です。


だから、例外もある

とはいえ、「顔は絶対に映さない」とまでは決めませんでした。

たとえば、こういう話があったとします。

亡くなった父の写真だけ、毎年、表情が違って見えた。

この話で、写真の顔を最後まで隠したら、物語のほうが壊れます。
顔そのものが物証だからです。

だから、こう決めました。

原則として、顔に頼らない。
顔そのものに物語上の意味があるときは、映してよい。

守っているのは「顔を隠すこと」ではありません。
見ている人が、自分の人生を重ねられる余白のほうです。

目的と手段を、取り違えないためです。


決めた理由を、残しておく

今回いちばん大きかったのは、どちらに決めたかではありませんでした。

十七本続けて守られていたルールに、記録が無かったことのほうです。

同じことが、まだ他にもあるはずです。

これから、決めたことは記録に残していきます。
決めた内容だけでなく、採らなかった案と、その理由も一緒に。

「なぜAではなくBにしたのか」が残っていないと、同じ問いが何度でも戻ってきます。
そして、そのたびに、答えが少しずつ変わっていきます。

物語を作る仕事は、忘れないでいる仕事でもあるのだと思います。


人生怪談は、人生の中に埋まっていた伏線が、何十年後かに回収される瞬間の記録です。
後から、意味がわかる。

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